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雑談

学祭の係なのになんにも仕事をしていなくて、もう1人の係の人に全て任せっきりになってしまっている。
昨日の説明会も彼一人が参加してくれた。すっかり忘れていたのだ。私はなんでも忘れてしまう。

今日の昼休みに食堂に集合して、その人から昨日説明会でなされた説明をもう一度してもらうことになった。とんだ二度手間である。申し訳ないから自分用とその人用に100円のブラウニーを2本手に持って待っていた。
程なくして彼は来た。ブラウニーを渡すとそんなに気を遣う必要はない、みたいなことを言ってくれた。食堂は混んでいたので外のベンチというか細長い石みたいなのに座った。日差しが強かった。彼は色々説明してくれた。私はメモなんか取りながら聞いていた。メモを取るような真面目さは説明会に出席する真面目さに代えるべきなのだと思った。

説明会の話は結構すぐ終わったけれど、私は3限がなかったしその人も3限がないと言うのでなんとなく座ったままなんとなく話し続けた。
その人は留学がしたいのだそうだ。聞いていて私も留学がしたいなと感じた。芯がしっかりしていそうな人だけど、私が「景色が綺麗なところに住みたい」と単純な事を言ったとき単純に賛同してくれた。
大学院についても話した。その人は進学を希望していて、「やりたい事をやった方がいいと思うから」と言った。私はそのような真っ直ぐな判断は出来なくて、それで随分悩んだ時期があったことを思った。私は単純なのでその時は大学院にとても行きたいような気がしていた。ただ私たちはお金がないから留学するにも大学院に行くにも費用を貯めなければならないということも話した。道のりは果てしないように思えたし、別になんてことないようにも思えた。昼の光が充満していて10月も半ばなのに日焼けしそうなくらいだった。
その人と別れて私は遅めの昼ごはんを食べに学食へ向かった。ないと思っていた3限はしっかりあったらしかった。自分は本当になんでも忘れるんだなと思いながら自分用のブラウニーの封を切った、終わり

旅行

今韓国に来ている。
ホテルの集合時間まで残り30分となっているところで、友達2人がどうしてもアイシャドウが欲しいということで街へ買いに行ってしまった。以前書いたことがある気がするが私はGoogleマップすら読めない方向音痴である。しかし2人が物凄い勢いでダッシュして行ってしまった後ではどうしようもなく途方に暮れるばかりであった。
とりあえずGoogleマップを起動して歩く。友達の話ではホテルは案外近いらしい。ところがどっこい、思うままに歩くもGoogleマップの現在地点は目標から遠ざかるばかりであった。そうするうちに時間はぐんぐん迫る。Googleマップにも意味不明なハングルが並ぶばかりである。
藁にもすがる思いでスマホを見せながら交通整理のおじさんにエクスキューズミー..アイワントゥーゴーディスプレイス...と声をかけてみる。おじさんは英語が分からないらしく、申し訳なさそうな顔をしながら信号待ちをしている人たちに韓国語でコイツに教えてやってくれ的なことを説明してくれた。何人かが集まってきてくれて、その中の一人の男性が流暢かつ平易な英語で分かりやすく道を教えてくれた。人生でTOP10に入るありがたさであった。
Thank you very much...と言いまくってあとは走った。走っている最中、「いやそんなにしてまでシャドウ欲しいのかよ」という気持ちと「本当にありがとう韓国の人、この恩は忘れない...」という気持ちが半々で、ホテルが見えた時は安堵で泣きそうだった。
友達は集合時間ぴったりくらいにトッポギを片手に現れた。呑気なものである。「荷物取ってくるからトッポギ持っててちょうだい、食べてもいいよ」と言われ食べるもめちゃめちゃ辛かった。
旅ももうすぐ終わりだ。英語が話せるようになりたいと思う。疲れたから寝たい、終わり

片足

暇つぶしの毎日だ。
みんな本当のことは何一つ私には教えてくれないままだ。何も分からないのに分かったようなふりをしながら、明日私は20歳になる。思えば折り合いの悪い、ぼんやりとした毎日だった。幼稚で、そのくせ子供扱いは嫌で、誰かと心の底から分かり合いたいのにその誰かを見つけて話をすることをひどく恐れて、友達がいないと嘆いてみたり、興味がないと言ってみたりした。何も無い曖昧な日々がこれからも続くだろう。それはそれで良いと思うくらい感覚が変わるまで生きていくということだと思う。

美しいものはたくさんある。それを見ている自分や他人が時々ひどく鬱陶しくなるだけだ。電車に飛び込みたいわけじゃない。孤独じゃなくて、誰もいない所に行けたらいいなと思う。初めから1人の方が楽なのだとずっと思い続けるしかないのだろう、終わり

若さ

 友達が、彼氏と最近うまくいっていない、今度好きな社会人とドライブに行く、というようなことを言っていた。こんな話が身近なものになるとは、いつのまにか自分は少女ではなくなったのだと思った。他の友達はうんうんと頷き、めっちゃ運転下手だったりして、と言って笑っていた。

 

帰り道自転車を漕ぐ。40代〜50代くらいの女性が全く前を見ず歩いてきてあげく睨んでくることが2度あった。何でおばさんって周囲を注意しないんだろうと思う。ああ、おばさんという言葉の響き・・・。

 

歳をとることは怖い。そういうのはエイジズムだから気にせず生きるべきだ、とか助け舟のような意見はたくさんあるが、それらは結局どうでもいいことだ。しわしわの老人たちは私と別の生き物ではなく、私の延長なのだという動かしようのない事実。どこかでそれを恐れているからこそ、人は長い一生のほんの一瞬である若い学生時代を異様に尊く語るのだろうし、みんな必死に自分の写真をインスタに残すのだと思う。

 

最近は完全に昼夜逆転していて、昨日は4時頃寝て6時間くらい昼寝した。私は今19歳で、来月には20歳になる。若さに取り縋るわりに本当に何もしていないから笑ってしまう。どうしたらいいか分からない。あと5回くらい19歳が繰り返されれば、ちょっとは19歳の模範解答に近づけるだろうか、終わり

アフリカ

レポート執筆に飽きて、卒業したらアフリカに行こうかな、と言ってみた。
冗談だと思った友だちがアフリカ?なんで?と笑った。青年海外協力隊みたいなやつ、良いなって思って。えーなんで、私は日本から出たいと全然思わないな、汚いのが嫌だからムリだと思う。まあ、日本ってキレイだもんね。うん、中学校の友達で国境なき医師団入りたいって子いたけど私は全然やりたいって思わなかったもん。そうなんだ、日本でバリバリ稼ぐのも良いよね。 と、私たちは時折このように微妙な齟齬をきたしており、いつか修復不可能なほどヒビ割れてしまわないか心配だ。綺麗な日本と汚いアフリカという対比を胸に秘め何の躊躇いもなく綺麗な方を選び続ける彼女に対して私が思っていることは何だろう。幼稚であるような気もするその一方で、ひとつの嘘もない清廉な人であるとも思う。嘘がないことは大切なことだ。将来私は本当にアフリカに行くだろうか。結局は私も、彼女と同じ哀れみの目でアフリカの子たちを見ることだろう、終わり

大江健三郎『芽むしり仔撃ち』

 

読みました...........。日本語圏に生まれてよかった...............。

 

大江健三郎は2年ほど前に『飼育』と『奇妙な仕事』を読んだのが最初だ。『飼育』を初めて読んだ時の衝撃は凄かった。その頃は完全に精神が廃れていたので無感動に本を消費していたけれどこの作家は1ページ目から圧倒的だった。登場人物たちはみんなどこか外れていて、それなのに全ては湿度や匂い、質感をはっきりと持っていた。この話の中の黒人とは一体なんなのか、打ち砕かれた手が表すものはなにか、自分なりに考えた覚えがある。

そういった経緯で完全に大江健三郎isすごいと思った私は図書室のご自由にどうぞ持っていってねコーナーから『水死』、『個人的な体験』を即かっさらった。が、『水死』がまるで分からずそれっきりとなってしまっていた。

 

さて、長めのブランク期間となってしまったが、本日ようやっと『芽むしり仔撃ち』を読み終わった。まず目次が良すぎる。ドライかつ詩的、ぴったり十章。到着で始まり、追放で終わるなんて、世界一では。。

本文の方もまるで魔法みたいな文章の連続だった。読み進めるうちに僕たちの世界の黴菌がじめじめとこちら側にも侵食するようだった。勘が鋭くない方の読者なので、正直「芽もむしってないし仔(羊とかかな)も撃ってないし一体なんだ?」と思っていた節もあったが、最終章でようやく「そういうことか!」と膝を打った。今日の帰り道はスゲ〜と思い色々考えながら自転車を漕いでいたため楽しかった。

調べると英題は ”Nip the Buds, Shoot the Kids” らしく、勘の鈍い読者にも多少優しい仕様らしい。本当はまだまだ思うところがあるが、知の巨人〜文学編〜の感想を書くのは私にはまだ早すぎると思うし、明日は1限もある。行きの自転車でまた考えたい、終わり。

 

 

 僕は閉じこめられていたどんづまりから、外へ追放されようとしていた。しかし外側でも僕はあいかわらず閉じこめられているだろう。脱出してしまうことは決してできない。内側でも外側でも僕をひねりつぶし締めつけるための硬い指、荒々しい腕は根気づよく待ちうけているのだ。(『芽むしり仔撃ち』第十章より )

 

 

眠れない夜 起きられない朝

眠れないので例のケンカの人にDMで謝ろうかと考えた。

でも結局、DMの画面で「お久しぶりです。」とまで打ったところでやめた。こういうことを正しさだと信じていたいものだが、結局のところ自己満足でしかなく、また自分の愚かさなんだと思い直した。

先日、映画レディ・バードを観てきた。高校生の青春ストーリーなんて観て精神に異常をきたさないか心配だったが、杞憂に終わった。むしろことごとく世界にフラれる主人公クリスティンを可哀想に思う場面が多かった。
私は基本的に映画は退屈してしまうのだがそれがなかったので面白い映画だったんだと思う。


最近朝起きるのがつらい。こんな時間まで起きるのが常態化しているのだから当然だ。雨が降るなか自転車を漕がなければならないのも意味が分からないし最近は小松菜を食べると反射で吐きそうになる。
大学生は全員気持ち悪いし特に嫌いな先輩は会う度いちいち容姿について指摘してくる。何もかもいい加減にしてほしいと思う。

誰もがいつの日かレディバードの名を捨てなければならないが、そう簡単に全てを割り切れるものだろうか。まずはしっかりと生活を送るところからだ。これを思うのはもう何度目だろう、終わり