twitter @sirotaeno

ツバメ

 2/8のこと

前使っていたサークル棟の改修工事がやっと終わったため仮の部室から引っ越した。新しいサークル棟は灰色でピカピカだった。部室も広くて綺麗だった。引っ越し作業中、人も多くなんだか手持ち無沙汰になったので5階へ行った。部室があるのは4階までだからサークル棟が4階までしかないと思っている人は多い。しかし、美術部の部室がある3階の階段を登ると、4階に辿り着いたはずなのにまた階段が現れる。私がこの階段を見つけたのは1年の時の1年同士で親睦を深めましょうという趣旨の会の途中だった。私は別にみんなと話すこともなかったし初対面の人同士でワイワイやるのが嫌いなのでその辺にあった「ちはやふる」を読みまくっていた(それは完全に浮いていたらしい(後日談))。その時に、浪人して入学した男子が「女子みんな可愛く見える」みたいなことを言っていてキモと思い部室を抜けた。

古いサークル棟は棟全体がツバメの巣みたいになっていて、これは比喩でなく、実際そこら中に燕が巣を作りフンが落ちまくっていてビュンビュン燕が飛び交っていた。ツバメは幸運の象徴と聞かされて育った私だが、こんなにいてはありがたみも無くなるなと思いながら外の景色とツバメたちを見た。この変人の巣窟がどんな風になっているのか散策してみようと思い立ち、扉の外から部室を見てウロウロした。変なサークルばかりだった(幻想文学研究会とか部落解放サークルとか)。そしてあるはずのない階段を見つけた。サークル棟は棟の中心がくり抜かれたようになっていて、いる場所から向かいの部室とサークル等の屋根が見える。上にはもう何もないはずなのにと不審に思って階段を上った。

ツバメの死骸とたくさんの奇妙な落書きがあった。階段を登りきったところは1畳ほどのスペースで、窓が顔の高さについており、窓と向き合ったとき左手に扉があった。扉には放射能マークがあった。落書きは飛び降りますとか仮面浪人中!絶対合格!とかそんなようなものだった。しばらく窓から外を眺め、またうるさい部室に戻った。私にとっては新入生で溢れる部室よりその不気味な一畳の方がずっと落ち着いた。

 

サークル棟は新しくなった。5階もすっかり綺麗になっていた。ツバメの死骸はもちろんなく、落書きも綺麗に消えていて放射能マークもなかった。あっけなくて少し寂しかった。その変なスペースは、違う大学の違う学部を受けようと思ってもがいて苦しかった当時の自分のためだけの場所だったんだと思った、終わり

横道

ずっと絵を描いていないので自分が美術部であったことを忘れそうになる。次描くなら何がいいかなあと考えて道を歩くのは楽しい。

道を歩くといえば、今週の日曜日(私は日曜始まりのカレンダーがなんとなく好きだからそれに従うとこういう言い方になってしまう。だが少し違和感がある。日曜日とはいつも向こうにある感じなので、やはり先週の日曜日?)に森林公園へ行った。一日中寝ていたから何かするかと思って夕方5時くらいから自転車を走らせた。坂を降ったり登ったりしてGoogleマップを頼りに着いたのは◯◯森林公園ハイツみたいな名前の立派なマンションだった。意味が分からなかった。駐車場に家族連れとおばあさんがいた。公園目指し必死に自転車を漕いだ結果巨大建造物に辿り着いた私をよそに、なにもかものんびりしていた。よく地図を見るとアパートの横に森林公園へと繋がる横道があるようだったので更に自転車を漕いだ。森林公園は薄ら寒くて暗いだけだった。

春の森林公園はどうだろう。暖かくなって、まあ虫もいるだろうが陽気で少しは楽しい雰囲気も出ているだろうか。遠くに引っ越すが、また行ってみてもいいような気がする。私はタッタッタとリズムよくランニングして、犬を散歩している人に挨拶したりなんかする。

研究室は結構大変そうだが、思いがけないことに興味あることが出来そうだ。大学入学後は燃え尽き症候群の典型と化していて勉強する習慣がほぼ失われそのままだったが、今日から毎日勉強しようと思う。新しい環境に飛び込むのは緊張する。楽しいことばかりではないと思うがともかく、歩き続けると見える景色も違ってくるようだ、終わり

 

 

成人?

成人式に参加した。

「飼育」で僕は左手を粉砕してやっと大人の仲間入りを果たすが、そんなことは私の地元では行われなかったので安心した。

前日は朝の4時まで起きていた。スマホをいじっていたら手放せなくなる夜がたまにあるけどまさにそれだった。9時頃起きて、準備して美容室で着付けをしてもらった。着付けをしてくださったおばあさんが振袖のことをすごく褒めてくれて嬉しかった。

式場である公民館に移動。一年ぶりに会う大神友が迎えてくれた。

小さい地元なので、周りは知り合いばかりだった。みんな変わりなかった。ロクでもない議員の祝辞まであの頃のままだった。中学のときこいつが何回語尾を伸ばしてア〜とかエ〜とか言うかみんなで数えたなあと思った。

祝賀会ではみんな多少よそよそしさを残していたが、そのあとの同窓会は完全にトチ狂っていて、男子はガバガバお酒を飲んで友達同士でキスしまくっていたし、女子も男子とベタベタしたりしてた。そういうのを見て仲のいい女友達と顔を見合わせるのも本当に中学校ぽかった。なんだかんだみんな仲が良いのだ。楽しかったなあ。

次の日インスタのストーリーに私は行かなかった3次会の様子がアップされていて、カラオケでみんな手を振ってZONEの「secret base 〜君がくれたもの〜」を歌っている様子が映っていた。これは中学校の時に流行った曲だった。文化祭とかで使ってたかもしれない。懐かしくなって、新幹線でこれを聴きながら仙台に帰った。

次の日インフルエンザを発症した。これは最悪だったが、SNSを見ると地元の多くの人がインフルを発症していたようだ。集団感染である。成人式にこんなリスクがあるなんて思いもしなかった。寝込みながらまあみんなも同じ感染源のウイルスで苦しんでるなら良いかと思わないこともなかった。

あんなにまた集まろうよと言ったけどもう2度と会わない人たちってたくさんいるんだろうなあ。わざわざ連絡を取るほどでもないと言ってしまえばそれまでだが、教室で毎日顔は見るくらいの距離感でまた会いたい人はいっぱいいるからさみしい。さみしいと思うのはきっとそれだけ良い友達に恵まれたからだ、と思うので多分良いことでもあるんだ、立派な大人になりたい、終わり

新年

2019年になった。
新年から遅刻はやめようと思ったがそんなことは忘れて遅刻ばかりしているから年が変わってもこのままなんだと分かった。

1. 大学
(1)年始に地元の美容室に行って成人式のアレコレをした。
母が余計な事を言ってそれに対して美容師は「ちゃんと考えて看護師になりなね」と偉そうなことを言ってきた。高校3年のときも同じような事を散々言われてまあそうかと自分を納得させたものだが今ではそういうのは当てにならないと知っている。人生とは単に個人の体験だ。東北大すごいねと盲目的に褒めるくせに自分のテキトーな人生に照らし合わせて看護師になれとか言ってくるのは最悪だと思う。数年前に気づけもせず意志も弱い自分が言えた事ではないとも思うけど。

(2)研究室配属のオリエンテーションがあった。
何度も聞かされたような話がまた繰り返された。
研究大学としての使命、あなた達にはリーダーになってほしい、これからの時代は博士号が必要とか長きに渡っていつもの感じだった。うんざりだ。院進を熱心に勧めてくるわりに院に行くのは1割もいないそうだ。進学率は学内でもかなり低い方であると思う。未だ専門学校卒が7割を占める看護師になるのにそんな立派な肩書きは必要ないと判断されるのは当たり前だ。
医学科の研究室に入って勉強したい人は○○先生に相談してください。基本的にはこの学科の研究室ですがこの大学は総合大学なので学ぶ権利が云々。入ったあと勉強についていけないなどあった場合もこの先生が窓口です。とアナウンスされた。
他の学部はその学問の頂上が見られるのに結局こうなのだ。本当にどん底の気分になるとき体が重くなる。前に座っている人の香水の匂いがきつくて頭が痛かった。
前の人たちのきれいにカールした髪やまつげを見ているうちに、男に生まれてたら手に職を持てなど言われずに工学部に入ってたかなと要らない事を考えた。何事も最終的に決めるのは自分だからここに座っているのは全て自分が招いた結果なのだ。仕方のないことだった。

(3)演習があった。他のグループは色々作業していたが自分のグループはちょっとやっただけでなんとなく席に戻った。一人はスマホをいじっていて私は置いてあった教科書を適当に読んでいた。教員がやってきて今はスマホをいじる時間なのかと怒った。教員は「楽しくないのか」と言った。楽しくはないと思った。スマホをいじった子は「そういうわけではありません」と言った。嘘だと思う。教員が去った後、スマホをいじっていないのに巻き添えを食らった子が不満を言ってきた。私は最初の説明を聞いているときパズルゲームをしていたからあまり賛同できなかった。
演習が終わり、紙に学んだことなどを記載する時間になった。提出すれば解散だが、私と巻き添えを食らった子はそんなつもりはなかったのだが最後まで残ってしまった。先ほどの教員は成人式は出るの?などといったことをにこやかに話しかけてきた。私たちもにこやかに応えた。やっと記載が終わり提出した。二人で帰ろうとしたとき「看護楽しい?」とまた聞かれた。私は、あーはいとか言って笑った。嘘だった(楽しかったらこんなブログは書かないので)。もう一人はう〜んあんまりと首をひねった。こっちは正直すぎだと思う。まあいつか楽しくなるよ、と教員は言った。いつかっていつだ?

(4)グループで計画を立てた。そのとき一人がOLになるって夏に決めた、というようなことを言った。よく知らないけどインターンとかも行くらしい。一人がそれは意味わからん、と茶化した。もう一人は私もやる気ない、入れるとこに入っただけだから、と言った。休み時間、後ろの席の人たちが起業家の話を熱心にしていた。私も看護師になりたくないけど道をそれようとするのは本当に労力が要ることだから考えただけで疲れてしまう。

(5)大学なんか辞めたい。けれど辞めてもどうしようもない。高3の私が今の大学の合格を捨てきれなかった理由は、自分には何もなかったからだ。就活もしたくなかったし理系の大学院に必ず行く風潮で、まだ下がいる家庭に経済的負担をかけるのもためらわれた。何より浪人するには家賃含めて300万円必要だった。当時、家族に看護師の何が嫌なのか散々聞かれた。今でも考える。しかし家族はもちろん自分を納得させるような理由はない。要はなんとなく嫌なだけなのだ。看護の子って医学科の男子狙ってるんでしょとか、看護師は医者のお手伝いだとか、手洗いの練習で一日潰したって本当?とか言われない場所に行きたかった。高校の3年間は本当にきつかったけど、そこで私をやっと支えていたのは学問への憧れだった。それなのに、大学の授業はコミュニケーションの大切さを説いたり、「あなたにとって健康とはなんでしょう?」などグループで話し合わせたり、はっきり言って心底くだらなかった。
初めから理工学部を受験すれば良かったのだろうか。そもそも文系を選んでいたらどうなっていただろう。人生は一度きりだから好きなことをしろと世間は言うけど、通学に往復2時間以上かけていた高校時代は課題や小テストや模試ばかりで自分が何が好きか考えている暇なんかなかった。見える範囲の色々なことを天秤にかけて今の場所を選んだ。間違った選択だったのかもしれないけど間違えざるを得なかった。敷かれたレールを外れるのが怖かった。
辞めても何にもならないから大学は辞めない。死にたいとか言って卒業してしがみついた結果の国家資格も取って、一生医療ミスに怯えて熱心なコミュニケーションをやって終わるんだろうな。その第一歩としてのテスト勉強をやらなければならない、終わり

僕らはもっと繊細だった。

夜行バスで東京に行き、ムンク展を観た。リーキット展には行っていない。上野公園の広大な敷地に幸せそうな人がたくさんいた。
夜に高校のときの美術部の先輩に会った。先輩が卒業してからずっと会っていなかったから約3年振りの再会だ。先輩は何も変わっていなくて相変わらず可愛らしい方だった。
私が高2のとき、帰りの玄関から勉強している姿がいつも見えていた。いつだったか先輩に用事があってクラスを訪れると先輩は授業終わりの数学の先生に質問をしていて、担任の先生は私たちに「〇〇はこうなると長いよ」と言った。先輩は東大を目指していた。私は、勉強熱心でいつも目を真っ直ぐに見て話してくれる先輩が大好きだった。
3年振りの席で私たちはお互いの大学の話をした。
今、関東圏の大学の医学科に所属している先輩は「みんな遊んでばかりだ」とか「私は研究に向いてないと思う」とかいうふうな事をポツリと言った。
変わっていないように見える先輩や私たちも何かが確かに変わっている、変わっているというか全く別のものになっているような気がした。また人生とは往々にして上手くゆかないのであるとなんとなく分かってしまった。私などはすべての選択をミスしてきたようにさえ感じる。私や先輩が現状に幸せを感じて笑える日の遠さを思った。

無題

くっそーハルキストめ、あいつらはいつだって傲慢、本のことをステータスか何かだと勘違いしていて、「自分は分かっている」という顔で高尚ぶって、そのくせ低俗で、人のことを安易に見下す、空っぽの欺瞞野郎だ、ふざけやがって・・・ 終わり

雑談

学祭の係なのになんにも仕事をしていなくて、もう1人の係の人に全て任せっきりになってしまっている。
昨日の説明会も彼一人が参加してくれた。すっかり忘れていたのだ。私はなんでも忘れてしまう。

今日の昼休みに食堂に集合して、その人から昨日説明会でなされた説明をもう一度してもらうことになった。とんだ二度手間である。申し訳ないから自分用とその人用に100円のブラウニーを2本手に持って待っていた。
程なくして彼は来た。ブラウニーを渡すとそんなに気を遣う必要はない、みたいなことを言ってくれた。食堂は混んでいたので外のベンチというか細長い石みたいなのに座った。日差しが強かった。彼は色々説明してくれた。私はメモなんか取りながら聞いていた。メモを取るような真面目さは説明会に出席する真面目さに代えるべきなのだと思った。

説明会の話は結構すぐ終わったけれど、私は3限がなかったしその人も3限がないと言うのでなんとなく座ったままなんとなく話し続けた。
その人は留学がしたいのだそうだ。聞いていて私も留学がしたいなと感じた。芯がしっかりしていそうな人だけど、私が「景色が綺麗なところに住みたい」と単純な事を言ったとき単純に賛同してくれた。
大学院についても話した。その人は進学を希望していて、「やりたい事をやった方がいいと思うから」と言った。私はそのような真っ直ぐな判断は出来なくて、それで随分悩んだ時期があったことを思った。私は単純なのでその時は大学院にとても行きたいような気がしていた。ただ私たちはお金がないから留学するにも大学院に行くにも費用を貯めなければならないということも話した。道のりは果てしないように思えたし、別になんてことないようにも思えた。昼の光が充満していて10月も半ばなのに日焼けしそうなくらいだった。
その人と別れて私は遅めの昼ごはんを食べに学食へ向かった。ないと思っていた3限はしっかりあったらしかった。自分は本当になんでも忘れるんだなと思いながら自分用のブラウニーの封を切った、終わり