Summer Reminds Me

小袋成彬のSummer Reminds Me という曲がある。

"それは今まで一番泣いた日"

"明日は荷物を全部引き揚げ 新しいセーターを買いに行こう 

 紙に名前を書くだけのこと 嫌だな嫌だな"

"堪えろ思いの丈 辛いのは俺だけ 暴れても仕方ねえ"

結局なにがそこまで精神を不安定にしているのかは明かされない。ただ、夏の入道雲だけがある。 

 

POPEYEの20歳の時何してた?というキャッチコピー。

何してんだろうなあ。変な時間に寝て起きてる、ツイッター見てる、乃木坂の動画観てる、音楽聴いてる、本読んでる、寝てる、ご飯食べてる。

この前は「すばらしい新世界」を読んだ。面白かったけど、途切れ途切れで読んだので内容はちゃんと分かっていないような気がする。本を読むけど最近というか1,2年くらいずっとこうで、読書に向いていないのかもしれない。けど良いんだそれで。

 

近頃、人は必ず死ぬということを意識する。人は必ず死ぬ、創作やネットでも使い古されている言葉だが、具体性を帯びてきた。学食とか、学生が大勢いるが、それぞれに死の瞬間があるのだなと思ったりする。みんなどのようにして死んでいくのだろう、私はいつ如何にして死ぬのだろうか?

 

NHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」を観た。今ならYouTubeに上がっていると思う。   他にも安楽死の映像をいくつか観る機会があった。生きている人が、薬を飲んだり点滴を自ら開始したりして死んでいくというのは不思議な感じがした。見たことのない命の形態だった。当人は苦痛を抱えて生きていたくないと言う。客観的に見て、悲しかった。涙をにじませる家族が痛々しいと思った。まだ意識があって、意思表明もできるのに死を選ぶというのは客観的には確かに悲しいことなのだった。

私は健康すぎるくらい健康で、それでも人生そのものに大きな意味があると思えなかったり生活が苦手だったりして死んでもいいなと思う日がある。つらいとか悲しいとか不安障害とかそういう話ではなく。体育が苦手な人がいるように、勉強が苦手な人がいるように、生きることが苦手な人も当然いるはずで、個人の自律・自主決定が尊重されない日本では100年かかっても無理だけど、安楽死があったらどうだろうと夢想したりしなかったりする。が、私もあなたも、死んでしまうのはきっと悲しいことだと思う。

 

なんかめちゃめちゃ重いブログになっちゃった。テストめんどくさいよ〜終わり