昨年から現在まで

先輩が厳しかった。向こうにしか分からない理由でいつも怒っていた。萎縮するほどしょうもないミスが重なって色んな人に嫌われていると思ったし、実際嫌われていた。自分の昼食も食べられずマウスのエサを交換しているときは結構自嘲的な気分になり、重篤アナフィラキシーに陥ることを心底祈りながら人より多くマウスに噛まれて、手袋の下で血が滲んで滴った。毎日気付けば朝5時になっていた。全体的に能力が低く上手くやれないので、やるべきことが山積するにつれ発表のクオリティも底辺になっていくのが分かり、辞めようと思ったのだが、それすら上手くやれなかった。他人から求められることはもう何一つ出来ないと確信めいたものがあり、家でじっとしていた。自分は昔からこのようであったはずなのに何故か病院に行くことになって、寝付きが悪いわけではないのですが朝5時になってしまいますと言ったら、医者が不思議そうな顔をした。何時間寝ているか答えられず、荒廃した生活を送っていたことに初めて気がついた。死なないと約束出来ますかと聞かれ、あなたと約束するようなことは何一つないと思って、久しぶりに日差しの中を自転車で帰った。

メールに頭が回らないと書いていたがあれはもう大丈夫なのかと、面談中に先生は何故か笑っていて、自分でもなんか笑ってしまった。全部どうでもよく馬鹿げていた。そのようにして、一応は大学に戻った。

研究室の人が、組織の人に迷惑をかけるために死にたくなると言ったが、本当に意味が分からなかった。意味が分からないことだらけなのでどうでもいいと思ってしまった。励ましの言葉もただ音もなく互いの空洞を通り抜けていくようだった。

どこまでも鬱屈した春だった。通りかかった花見会場に浮かれた人がたくさんいて、拍子抜けしたのをよく覚えている。こういう素敵なイベントと自分は無関係でそれはこれからも変わらないのだろうが何故かなんとかなるような気がして、歩道橋の上から、その時は真下の道路ではなく人で溢れる公園を見た。日が随分と長くなっていることに気がついた。涼しい風が桜を揺らしていた。

生きていくにあたっては様々な困難があって、今の自分がそれらを乗り越えられないのは明白なのだが、ふとした瞬間に得られる錯覚に騙されてまた春が過ぎるのをじっと待つ。この繰り返し。桜はいつのまにか散って街中の緑が眩しかった。季節はいつも、気分とか世の中の悲しいこととは無関係に巡り、過ぎ去っていく。私はそうした流れに全く追いつけずに、そのような循環の中にあって周りの風景をぼんやり眺め、ただ美しいと思っていた。終わり